令和5年8月21日
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構
国立大学法人東京大学生産技術研究所

気体の熱はどう固体に伝わるか
―気体-固体間での熱の伝搬過程を解明、新たな熱伝達制御へ―

【発表のポイント】

図1.水素の回転エネルギーが固体表面に移動する概念図

【概要】

国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(理事長:小口正範)先端基礎研究センター表面界面科学研究グループの植田寛和研究副主幹と福谷克之グループリーダー(国立大学法人東京大学 生産技術研究所 教授)は、水素分子から固体表面への回転エネルギー移動機構を明らかにしました。本研究の成果は、気体から固体への熱の伝わりやすさを固体最表面の元素と構造を変えることで制御できる可能性を示すものです。

気体と固体表面間のエネルギー(熱)の移動は、熱が関わる様々な現象を考慮する上で、基礎的にも応用上も重要な問題です。例えば、触媒表面での気体の吸着・反応過程では、吸着・反応熱を有効に逃がすことが反応効率の向上につながります。一方、核融合プラズマでは、プラズマから炉壁への熱の移動を抑制することが求められます。

分子の運動には、「並進」「振動」「回転」の3種類があります。これまでに分子の並進と振動のエネルギー(熱)の移動機構は詳しく調べられてきました。これに対して、分子の回転運動は他の2種類の運動に比べてエネルギー量が小さく、実験的に回転運動を調べることが困難なため、気体-固体表面間のエネルギー移動では、重要な役割を担うと考えられていたにもかかわらず、その詳細は未解明でした。

気体分子の回転運動を調べるために、我々は水素分子に注目しました。水素分子を構成する陽子はスピンを持ち、そのスピンの向きの違いから水素分子には、オルトとパラという異なる回転エネルギー状態が存在します*2。これは量子力学的な対称性に起因します。オルト状態からパラ状態へ変化する際には、スピン転換とともに回転エネルギーの放出を伴うため、オルト-パラ間の遷移を調べることで回転エネルギー伝達を調べられることを着想しました。本研究では、貴金属触媒や水素吸蔵材料として知られ水素と密接に関係するパラジウムに着目し、表面に吸着した水素分子のオルト状態からパラ状態への変化に伴い、回転エネルギーが表面にどのように伝わるかを調べました。その結果、回転エネルギーは、パラジウム表面の電子と格子振動の両方に移動することを見出しました。

過去の研究から分子の振動エネルギーは、金属表面では電子に移動することが知られていました。それに対して本研究では、回転エネルギーの移動には電子のみならず格子振動も重要な役割を担っていることが分かりました。本成果は、固体最表面の元素や構造を変えることで表面の格子振動を制御し、固体への熱の伝わりやすさを制御できる可能性を示します。

本研究成果は、8月21日付(日本時間)の「Journal of Physical Chemistry Letters誌」に掲載されました。

【これまでの背景・経緯】

気体と固体とのエネルギー(熱)のやり取りは、表面反応や熱効率の観点から重要です。触媒表面で化学反応が起きる場合、反応熱を固体表面が受け取ることで反応が速やかに進みます。また、核融合プラズマでは、気体と炉壁との断熱効率が重要となります。分子には並進、振動、回転の運動があり、これらのエネルギーが固体へどのように移動するのかを理解することが、固体表面との相互作用を制御し、触媒やプラズマなど社会的にも重要な課題に対処する上で鍵になります。これまで、気体の並進・振動エネルギーがどのように物質の表面に伝わるのか調べられ、その詳細が明らかにされてきました。例えば、一酸化炭素の振動エネルギーは、金属表面では電子へ移動することが示されています。

しかし、分子のもつ回転エネルギーは、他の運動に比べてエネルギー量が小さく、実験的にも回転運動を調べることが困難なことから、そのエネルギー移動については、これまでよく分かっていませんでした。

【今回の成果】

気体と固体表面間の回転エネルギー移動について理解するために、水素分子の異なる原子核スピン状態に起因する、オルトとパラと呼ばれる2つのエネルギー状態間の遷移について調べました。水素分子には、構成する陽子のスピンの向きの違いから、オルトとパラという異なる回転エネルギー状態が存在します。本研究では、まず、貴金属触媒や水素吸蔵材料と知られ、水素と密接に関係するパラジウム表面に吸着した水素の回転エネルギーを調べました。実験の結果、オルト水素の回転エネルギーがパラ水素よりも約10 meV高いことを明らかにしました。オルト状態からパラ状態へ変化する際には、回転エネルギーの散逸を伴います。この散逸過程を理解する糸口として、オルト水素からパラ水素へ変化する確率の表面温度依存性を調べることが有益なため、オルト状態からパラ状態への変化率を表面温度-232℃から-213℃の範囲で調べました。実験の結果、温度が高くなるにつれてオルト状態からパラ状態への変化率が10倍程度上昇することが分かりました(図2:)。

固体は、軽い電子と重い格子からなります。実験結果から回転エネルギー散逸過程を考えるため、回転エネルギーの移動先として表面の電子と格子振動を考慮した以下の3つのエネルギー移動モデルを提案しました。

(a) 回転エネルギーがすべて金属表面の電子へ移動する場合
(b) 回転エネルギーの一部が電子に移動し、残りは1つの格子振動に移る場合
(c) 回転エネルギーの一部が電子に移動し、残りのエネルギーは2つの格子振動が担う場合

各モデルの計算結果を表面温度-213℃の値を1として規格化し、示します(図2)。実験で得られた変化率の表面温度依存性()と比較すると、モデル(c)が実験結果の変化を再現していることが分かりました。このことは、水素のもつ回転エネルギーの移動には、固体表面の電子と格子振動の両方が関与していることを示唆しています。気体の振動エネルギーは、そのすべてが表面の電子に移動するのに対して、回転エネルギー移動においては、電子だけでなく格子振動も重要な役割を担うことを、本成果は示しました。振動と回転が大きく異なる理由として、気体の回転のエネルギー(10 meV程度)が表面の格子振動の大きさと同程度なため、エネルギー移動がしやすいためであると考えられます。過去に報告されている振動エネルギーは、今回の回転エネルギーに比べて10倍程度大きな量であり、仮にすべての振動エネルギーが格子振動へ移動するためには、複数の格子振動を多重に励起することが必要になります。格子振動を多重に励起する確率は低いため、固体へ伝達しにくいことが予想されます。

【今後の展望】

本研究によって、気体から固体への熱の伝達には、エネルギーとそれを受ける固体表面の格子振動のマッチングが重要であることが明らかになりました。格子振動の大きさは、元素や構造によって大きく異なります。固体表面の原子種を変えることによって、気体からの熱が伝わりやすく、あるいは断熱性をよくするなど熱伝達の自在制御が可能になることが期待されます。

図2.オルト水素からパラ水素への変化率の表面温度依存性。

はオルト水素からパラ水素への変化率(実測値)
(a)-(c)は回転エネルギー移動モデルの計算結果
(a) 回転エネルギーがすべて金属表面の電子励起に用いられる場合
(b) 回転エネルギーの一部が電子励起に用いられ、残りは1つの格子振動に移る場合
(c) 回転エネルギーの一部が電子励起に用いられ、残りのエネルギーは2つの格子振動が担う場合各計算結果は、表面温度-213℃の値を1として規格化している。

【論文情報】

雑誌名:Journal of Physical Chemistry Letters

タイトル:Rotational-Energy Transfer in H2 Ortho-−Para Conversion on a Metal Surface: Interplay between Electron and Phonon Systems
(金属表面での水素のオルト‐パラ転換における回転エネルギー移動:表面の電子と格子振動による相互作用)

著者名:Hirokazu Ueta, Katsuyuki Fukutani

【各機関の役割】

<日本原子力研究開発機構>
植田寛和(研究副主幹):実験、解析、考察

<東京大学>
福谷克之(生産技術研究所 教授):解析、考察

【助成金の情報】

本研究は、JSPS科研費18H05518,20K05337,21H04650,23K04593,住友財団基礎科学助成、および文部科学省卓越研究員事業の支援を受けて行われました。

【用語の説明】

*1 格子振動

固体は原子が規則正しく周期的に並んで(格子を組んで)形成しています。各原子は、それぞれの安定な位置のまわりで振動することができます。これが格子振動です。この振動は隣接する原子と連動して固体中を波のように伝わります。

*2 オルト水素とパラ水素

二原子分子である水素は2の陽子を持っています。陽子はスピンをもっており、その向きが同一のものをオルト水素、反対のものをパラ水素と呼びます。常温で平衡状態にある水素は、オルトとパラ水素は3:1の割合で存在します。平衡状態のパラ水素とオルト水素の存在割合は温度のみの関数で表され、低温なほどパラ水素の存在割合は増えます。しかし、オルトからパラ状態への変化は、孤立系では非常に遅く実質的に起こりません。物質との相互作用によって転換が促進されることが知られています。

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参考部門・拠点:先端基礎研究センター
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